『お前って人に何か与えられるものあるの? 最近、人になにか与えられているの?』
『こんな事は意識して生きてはいないけど・・・良く考えると「欲しい」「与えて欲しい」「得たい」ばっかりの自分なのかな?なんて思って時もあった。』
『与える=喜び になると結構楽しい人生になりそうですが・・・ここになかなか気づけないで参ってしまっている人って実に多いですね!』
少なくても人間の本能の中に「人に何かを与えたい」って気持ちあると思うんです。
でも「欲しい」「与えて欲しい」が先行する人が多いのかな?って思うのです。
逆にこんな人もいます。
「いつも与えてもらってばかりで何も返せない自分が辛い」
って嘆く人もいるんです。
「本当にあかの他人なのにいろいろ心配して言ってくれる人いないですか?」
・・・人間は与えたいんです。
でも人間は何かを与える為に勉強するんです。そして与えようとするんです。
沢山沢山勉強して与えようとするんです。
この行為は間違っているとは思わないのですが?
こんな問いにどんなアンサーが出来るのか?
『十分に与える事が出来る人は必ず与えているか?』
どうですか?
もしなにか相手に与えてあげたいと思ったら・・・
『相手が何が欲しいか知る事なのです。相手が何が欲しいか感じる事なのです。』
これは仕事でも私生活でも同じです。
逆に相手が欲しいものが分かれば・・・勉強しませんか?情報を集めませんか?その技術を習得しませんか?
あなたは勝手に成長するんです。
小野がいろんな現場をみて最近思う事・・・「与える」って言うワードがない人がいる。
「僕は与える身分ではないなんて思っている人も実に多い」
「与えられた実感がないから与えることを知らない人も増えてきてる感じがする」
実は・・・
人間が生きていく中で「与える」とか「相手を想う」って自身が「豊か」になる為には本当は一番大切な事。それが「得たい」「自分だけを想う」って言う人が多くなると心がカサカサの人間ばかりになって行く。
おそらく人間は・・・
「与える」「相手を想う」って言う事に喜びを感じる動物だと思う!
「得たい」「自分だけを想う」って言う人間の結末は・・・「悲しみ」なのかも知れないって思う。
これを読む人・・・人に与えて欲しいなぁ ちゃんと相手も想って与えてあげて欲しいなぁ
現在トップ飲食チェーンに創業の頃に入社して社長側近で20歳代で人の教育と現場の責任者を行う。部下数は27歳で5,000人を超えていた。
上場前に30歳で独立して皆さんのよく知る大手チェーン、道路、鉄道インフラ店舗コンサルティング、公的機関、海外飲食店舗、個人店まで幅広くコンサルをする。
セミナー本数は3,000本を超える。
現在
第一線で25年間やってきたコンサルティングの仕事を辞めて、「豊かな人生の生き方」を提案して活動している。
コーチ、経営意匠プランナー、エデュケーター、イラストレーター、旅人、ブルベイスト、パワーブロガー、人事スペシャリスト、スマイルメーカー、投資家、ourboat主宰、トップBC主宰、心と身体の音響調律イーマ調律師、健康研究家 様々な顔を持つ。
教授した人間は30,000人を超えている。
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